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共通語としてのイタリア語―語学レポvol.2

ドイツ語のコースとイタリア語のコース。
ドイツ語は月曜日で3回が終わり、イタリア語は今回で4回目が終了。

どちらも共通語は「イタリア語」なんですよね。


イタリア語をイタリア語で教える「直説法」と、ドイツ語をイタリア語で教える「間接法」
語学を指導する側にいつかはなりたいと思っている私としては、両者ともとても勉強になります。

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さらに、ドイツ語の授業では、イタリア語の表現も一緒に耳にすることができて、一石二鳥。
「暗記する」というのが「imparare a memoria」(直訳は記憶に残すように学ぶ)とか、疑問形容詞が「aggettiva interrogativa」というなんて、全く知らず。生徒の仲間にいろいろと細かく質問する青年がいて、彼が質問する時はむしろイタリア語の勉強になるくらい。
(質問する内容のほとんどが難易度高すぎて、現時点のドイツ語レベルでは知らないでいいことばかりなので、彼が話すときはイタリア語に集中することにしています。)


テキストの登場人物に、なぜか「Yoshimotoさん」という女性が登場!
というわけで、Yoshimotoさんのところを読んだりするときは、だいたい私が読むのが定着しつつあります。
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「授業はイタリア語ばかりで、ドイツ語を十分に学べないのでは?!」という疑問もあったのですが、そこはさすがプロ。必要最小限のイタリア語で説明を、あとはできる限り「読む」、「聞く」、「話す」に重点をおいてドイツ語で進めてくれるので、私にもゆっくりついていけるというところです。

メンバーも、ラテン語系の言語(イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語等)に精通している人がほとんどで、もちろん英語ができる人はいますが、ドイツ語に関してはやはり初心者。
一から同じレベルというのがありがたい。

私は、スイスドイツ語に聞きなれていた(とはいえ、何を言っているのかは全く理解できませんが)ので、ドイツ語を習うことで、「あ、あれも方言だったの?!」ということがたびたび。
スイスジャーマンは、ドイツ語の先生でさえ「理解できない!むしろ勉強したこともないフランス語の方が理解できる」と言っているぐらいなので、かなり手ごわいです!

とりあえずYesのことを、(夫の出身地方の方言で)「Jö」という癖がついていた私も、最近はちゃんと「Ja(ヤー)」と言えるようになりました☆



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一方、イタリア語の授業ですが、みなさん(特に中近東、欧米勢)は、問題ないくらい話せる。
文法が弱いのかと思いきやそんなこともなく、ボキャブラリーも多く流暢に話す。

だいたい、最初に時事ネタとかを話すのですが、はっきり言って私にはついていけないくらい流暢に、結構込み入った問題について特に3人くらいの人がばばばばっと話をするので、私は言っていることを理解するのに必死。
アジア勢は、みんなおとなしい。

前回、今回はエジプトでのデモの話から、宗教、革命の話、そしてそこから発展して、今日は同性同士の両親をもつ子どもと、両親が異性の子どもの成育には何か違いが出てくるかという話になり、しまいにはジェンダーの話にまで発展。
これは授業の前段なのですが、かなり熱い。
それぞれが育ってきた環境も、宗教も、また考え方も違うので、その辺が時に熱い衝突に変わることも。

非常に興味深い話で、もちろん私も自分の意見などいえたらいいのですが、日本語でもすぐに意見がまとめられないのに、まるで討論のように3人でスピーディーに話が展開していくので口をはさむのがとても難しい。私に意見を言う機会が回ってくるなど、落ち着いて意見をいえる時間がないと難しい。
それだけ、まだまだイタリア語が自分の言語のひとつになっていないということでしょう。
もちろん、そんなすぐに流暢に話せるわけなんてないのかもしれませんが、まだまだイタリア語を話す時は注意しながら話している自分がいるなぁと気がつきました。
積み重ねですね。
気持ち、積極的に臨んでいかねば!


私たちの先生は、イタリア人。
とても美人で若い先生なのですが、かなり厳しい。
とてもありがたいことだと思います。
語学力のレベルがあがればあがるほど、いろんな意味でいい加減さが出てきてしまいますが、そこをきっちり注意してくれるのは、助かります。
「イタリア語もいまではイタリア語ネイティブでさえ、文法もぐちゃぐちゃで話しているという場合もあるけど、私たちは、ここではちゃんとしたイタリア語を学びましょう」と。

今日も、リスニングをして、それを「きちっとした文章で」要約するというタスクが。
リスニングの後に、私があたったのですが、「きちっとした文章」で話すというのが、どれだけ難しいかということが、改めて。

単語、文法はもちろん、言い回し、発音、アクセントなどもきっちり直してくれます。

アジア勢のうち、特におとなしい学生が2人ほどいて、今日はそのうちの1人に、「わからないのに、「はい、わかった」なんて言ってはだめ!わからないのに、「はい」と言って、あとで「私、ぜんぜんわからないから、ダメな生徒なんだ」と自分を卑下して帰ってほしくないの!わからないときは、どんどん質問する勇気をもたなきゃ。ここに来て勉強することが、あなたにとってハッピーな時間であってほしいの!」とけっこう厳しく言い放ったのでした。
もちろん全員に向けてのメッセージであったと思いますが、先生の熱意が伝わり、「もっとちゃんとしたイタリア語を話せるようになりたいし、なるための努力を惜しんだらあかんなぁ」と感じたのでした。


帰りに先生と話をしたときに、「私も厳しくなんてしたくないの、本当は。だけど、きっちり言わないと、いけない時はやっぱり言わないといけないから。」と言っていました。
指導するというのは、本当に難しいものですね。
でも、先生の気持ちというのは、伝わるものです。

そんなこんなで、ひさしぶりに言語を真剣に勉強しています。
コミュニケーションをとるのに、文法の正確さは必要ありませんが、やっぱり勉強する機会があるのだから、ここでしっかりやらないといけないのだろうなと思うわけです。
きれいなイタリア語、きれいなドイツ語を身につけたいなと。

日本語は忘れていませんよ。
え?!たびたびブログの記事の日本語が間違っている?
日本語を教えたいのなら、きれいな日本語を使えるようにならないといけませんね。
そろそろ日本語の勉強も再開しないといけないなぁ。
by ca_rino | 2011-02-11 02:43 | まなぶ